だって愛は半端ないじゃない

4月に入ってから日記を全然更新できていない。やることがいっぱいあるのだ。おまけに上旬は風邪引いてたし。かといってこの日記を書くことは私にとって大事なことでもあるから、あまり後回しにしたくないし、ここ最近は書く時間を確保できないことにストレスが溜まってきた。やっと時間ができたのかというと別にそうでもないのだけど。今は4月20日の15時半頃。エトアール終わりに大好きなカフェへ。本当はまっすぐお家へ帰っていろいろやらなきゃなんだけど。でもここに寄って、一度体と心の充電をしたほうが絶対に良い、と私の中の私が言ってる。このお店で過ごす素晴らしい時間のおかげで、私は生きていられるのだ。…大袈裟ではなく。「春の夢」という紅茶とミモザケーキを頂きながら執筆している。めちゃくちゃ美味しいです。

さて、日記をなかなか更新できていないので、書きたいことはたくさん溜まっている。最近のことを簡潔に。まず今日のことでいうと、大親友が旦那さんと一緒にエトアールに来てくれた。何度でも書くけど、友達や知り合いが自分の働いているお店に来てくれるのは超嬉しい。ありがとう。最近は月1〜2ペースでいろんなお友達が(偶然含め)エトアールに来てくれている。幸せ者である。あと、これは本当〜〜に恐れ多いことだが、「あなたの笑顔が見たくて」と言って来て下さる常連のお客様もいる。勿論、友達や常連のお客様に来てもらえるのは、エトアールが素晴らしいお店であるという大前提の元ではある。ここで働き始めて9ヶ月くらいだけど、本当にやっと最近、自分がエトアールというお店に馴染んできたような気がする。違和感なく、お店の一部として。働き始めの頃と今とでは、働いている時の心持ちが全然違う。以前はただのバイト(=労働)としか捉えていなかったけど、今はここで働くことがいつも楽しくてしょうがない。これは自然に変化していったのではなく、自分の中での意識を変えてみたのだ。ざっくり言うと「楽しむこと」「愛すること」を日々意識している。楽しもうとする姿勢の有無で、物事の楽しさは大きく変わってくる。そして「愛すること」。対象はあらゆるもの。人(お客さん、同僚)、物(食器、テーブル、椅子など)、空間、時間。「愛を与えると、愛は自分に返ってくる」と思う。誤解を避けたいのでちゃんと書くが、「愛されたい」という見返りのために私は愛しているのではない。「愛する」ということ、それ自体が美しく素晴らしいし、「愛が返ってくる」時、本当に幸せを感じる。仕事の楽しさにも繋がってくる。

”愛”についてはかれこれ4年くらいずっと考えている。”愛”こそが自分の人生のテーマの一つだなとも思う。私は”愛”という概念(?)がとてつもなく好きなのだ。人への愛、モノへの愛。ここ数年でものすごく好きになった人物は、共通して「愛に溢れている人」という特徴がある。例えば、尊敬しているイメージコンサルタントのS先生や、俳優でアーティストの入野自由さん。S先生は、クライアントや生徒、家族、仕事など、あらゆる人やモノへの愛が凄まじいし、行動がそのまま表れている。私はこの先生からイメージコンサルティングを学んだのだが、授業で初めてお会いした時のことを忘れられない。とにかく「この人はすごい!」と直感し、この人について行こう、と思ったのだ。そしてもう一人、入野自由さんに関しては、私が高校生の頃(2015年〜)から彼の歌う曲が好きなのだが、特に2019年以降の曲がものすごく好きだ。2019年以降、”愛”をテーマにした曲がたくさん出ている。素晴らしい曲ばかりである。最新のシングル『愛さずにはいられない』、音楽サブスクで聴けるので興味ある方はぜひ。

うーん、もうあっという間に16時半だ。そろそろ帰ってやるべきことをやらねば。実は明日引越しを控えているのだ。まだ荷造り終わってない。ひゃー。

ボロボロナイチンゲール

コホコホ。先週の水曜日くらいから風邪を引いてしまって咳が止まらない。熱は一度も出てないし、咳以外の症状も特に無く軽症。けどこの咳の症状が悪化せずとも、また良くもならない。風邪を引いているせいか、春バテ(調べてみたら夏バテだけでなく春バテもあるらしい)なのか、どうも消化機能も弱っている気がする。食欲もあまり無い。季節の変わり目という体調を崩しやすい期間と、ここ最近の忙しさがバッティングしてしまった。まあ油断して体調管理を怠ってしまったのが悪いのだが…。うーん、咳が止まらないので落語の練習が思うようにできない。明後日10日は女医会(落語会)に出るつもりだったが、こりゃ厳しいかも。喋るとやっぱり咳が出るし、喉への負担も大きい。女医会お休みする場合は明日(9日)のうちにXとインスタでお知らせしようと思う。もし私がお休みするとしても、演者は女医師匠と癲狂兄さんのお二人がいるのでご安心を。元気っちゃ元気なんだけど落語できないのが辛い!頑張って覚えてるのにー。体調不良ナイチンゲール、不甲斐ない。明日病院行ってお薬貰ってこよう。

実は風邪を引いただけでなく怪我もしてしまった。いや、これも軽傷ではあるが、右手小指の突き指。昨日は新潟県知事杯というかるた大会に出場していて、3位入賞!したのだが、試合中に相手の手と接触して突き指してしまった。競技かるたに突き指は付き物。特に私は自分の手の出し方が悪かったり、手に力が入りすぎたりしていて突き指しがち。怪我をするとかるただけでなく、日常生活や仕事においても大変不便だ。たかが小指、と思いきやこれがまあ辛い。字を書くのも、物を持つのも痛くてしょうがない。今日仕事してる最中にたぶん悪化したので、明日大人しく病院行こうと思う。きっと折れてはいないけど、あまりにも腫れが酷いので。なるべく突き指をしないようなかるたの取り方を練習しないとなあ。かるたを始めた高校生の頃から何度も突き指している。まあ過去に、大会一週間前に右手(利き手)を突き指して、左手で大会出たら優勝したっていう個人的伝説もあるのだが…。当時は高校生で勢いもあったし、今急に左手で取ろうとしたって昔のように上手くはいかないだろう。それに怪我はしないに越したことはない。あと、もっとかるた強くなりたい。というか、もっと強くなれるだろうなあと思う。強くなりたいのは自分のためでもあるけど、それ以上に後輩の育成に役立ちたい、という思いが強い。練習日によっては、参加者のうち私が一番年長であったり、一番の上級者だったりする。つい最近まであまり実感は無かったけど、もう既に「指導する側」の立ち位置になってきているのだ。それならば、やはり強くなりたい。自分も、みんなのことも強くしたい。

それにしても身体が弱ってるとナイーブになりがちだ。やっぱりちょっと落ち込む。ウー。ウー。元気になりたーい!

女医会チラシ完成/女神的影響

4月1日。新年度だ。といってもフリーターの私にはあんまり関係が無いのだけど。でも「新年度なんだなあ」とは結構意識してしまう。実際5年前まで学生だったし、その後は3年くらい公務員だったからその名残りかも。

まず告知。第2回女医会を4月10日(水)19時〜、毎日元日という場所でやります!今月は第一火曜日じゃないから気をつけてね。チラシ完成したからXとインスタにあげた。今回のチラシは私が作ったから良かったら見てね^_^ 女医会は落語やるよ。古典落語をこれから覚える。時間ないー。ひー。がんばる。

最近よく考えているのは”影響”について。前にも書いたかもしれないが、私という人間は今まで出会ってきた人・もの・出来事でできている。これまで出会ってきたさまざまなものに影響を受けて、今の私がいる。仮に、影響を受けやすい人/受けにくい人 と分けるとしたら、私は断然、影響を受けやすい人だ。素直で良い子だから結構いろんなことを真に受けてしまう。特に今日はエイプリルフールだから、あらゆる嘘を見聞きしてちょっぴり脳が疲れてしまった。詐欺られ師にエイプリルフールは酷なのである。話逸れたけど、”影響”について。私は自分が関わる人やものから本当にたくさんの影響を受ける。読む本、聴く音楽、行く店、思考、喋り方の癖、使う顔文字…挙げたらキリがない。「あの人に出会って人生が大きく変わったな」みたいなことはよく考えてしまう。だって実際そうだから。そして私も、きっと不特定多数の誰かに、何かしらの影響を与えているのだ。その影響っていうのは些細なことから大きなことまであるだろう。自分が他者に与えうる、その”影響”というものがちょっぴり怖い。極端な話、私と出会ったことによって、死にたくなる人だっているかもしれない。逆に、生きる希望を与えることだってありうる。私はインフルエンサーでもない、ただの一般人女性だけどね。大袈裟な話に思われるかもしれないけど、本当にそうだと思うのだ。他者へ与える”影響”を考えた時、ポジティブな影響とネガティブな影響だったら断然前者のほうが良いだろう。結局私は、生きているからには少しでもこの世の中の役に立ちたいのだ。ちっぽけな人間にできることはとても限られているだろうけど。私がかねてから言い続けている「女神になりたい」という言葉は、そういうことでもあるのだ。

今年もかるたー/次回の女医会

気づいたらもう3月の下旬だ。今月もなんだかんだバタバタとしていたが充実していた。4月はもっと忙しくなるかも。というのも、私は来月から新生活が始まるのだ。これについてはまた別日に日記に記す。

全日本かるた協会への登録を来年度も更新することにした。1年ごとに更新なのだが、ここに登録しておかないと全国各地で行われる公認大会(通称:全国大会)に出場することができないのだ。かるた以外にも仕事、落語、自分のお店……やることはたくさんあるので、学生の頃のようにたくさんの大会に出ることはできないだろうけど。去年は4つの公認大会に出た(4月酒田、5月仙台、10月新潟、11月佐久)。新潟県の県大会には2回(4月県知事杯、7月弥彦神社)出た。本当は9月にも三条市で毎年県大会が行われているのだが、去年はすっかり忘れていて出られなかった。県大会は毎年この3つ開催される。いずれも過去に優勝、入賞経験があるので思い出深い。去年は4月の県知事杯でA級優勝した。県大会のA級(かるたは強さごとにクラス分けされており、A級が一番上!)で優勝するのはこれが初めて。去年の4月というと、東京から新潟に戻ってきたばかりで、かるたも復帰したての頃。我ながらよくやったなあと思う。その県知事杯が今年は4/7(日)に新潟市の天寿園で開催される。2週間後。もちろん出場するので練習頑張らなければ。

話変わるが、落語を始めたことによって前より明るくなったと以前日記に書いた。しかし変化はそれだけではなかった。1つは、普段話す時の声が若干大きくなった。大きくなったとはいっても、うるさいっていう音量ではないはず。元々通る声ではあるが、またさらに通りやすい声になった気がする。でも今よりもっと昔、小さい頃はかなりの引っ込み思案で、声も小さくボソボソと喋るような子供だったはず。着実に、ずっと成長し続けている。変化その2は、ちょっと痩せた気がする?ってこと。ここ最近の食べる量も運動量もさして変わっていないのだが、明らかに体(主に上半身)が引き締まって見える。落語で10分20分と一人で喋り続けるというのは結構大変で、終わった後はどっと疲れる。数字では大したことないのかもしれないが、ある程度カロリー消費しているのだろう。落語は楽しいからやってるのだけど、思わぬ副産物があって嬉しい。私のこと見てたらみんなも落語やりたくなっちゃうかもね^_^ あ、次の高座は4/10(水)です!女医会!毎月第一火曜日とお知らせしておきながら、4月はちょっと予定変更です。チラシはこれから用意する!誰でも聞きに来れるよ。けど、「行くよ!」って人は事前に教えてくれるとありがたいなー。場所は毎日元日。19時くらいから。よろしくね^_^

栄養補給

今の自宅から一番近くにある喫茶店でランチ。ここは大抵いつもおかずが6〜7品とごはん、味噌汁、デザートがついて500円。コーヒー付きで600円。価格破壊。ママさんのお料理は野菜と愛情がたっぷり。ファンも多い。このお店がある限り、そして近所に住んでいるうちになるべくたくさん通っておきたい。

ここのランチは体にいい。野菜がたっぷりで味付けも優しい。ママさんのお人柄も素敵だ。体も心も満たされる。

私は店師なのでいろんな店に行く。主に喫茶店が多く、それ以外だと「ここは」と思った店には行く。古本屋、食堂、バーなど。とは言っても行くお店の9割は飲食店である。しかし私は正直、食べ物・飲み物に関心やこだわりは無い。だから「ここのラーメンが食べたくて」みたいな動機を持って外食することもほぼ無い。じゃあどうしてわざわざ店に行くかというと、いろいろ理由があるがその1つとして「栄養補給」というのがある。食べ物の栄養の話ではなく、その店に行って得られる心の栄養みたいなもの。素敵な空間にいると、自分の体の中に養分みたいなものが流れ込みじんわりと染み込んでゆく、そんな感覚になる。そして素敵な空間(店)には、素敵な人達(お客さん)が集まるものである。

以前(2022年)にもこの「栄養補給」について書いていたので引用する。↓

夜学バーでのいろんな人達との関わりは、普段の閉じた人間関係の中だけでは味わえないような新鮮さや学びがあり、私の心に栄養を与えてくれるものでした。この栄養のおかげで、私は少しずつですが確実に、素敵な人物に育っていっていると思います。言うなれば、自身の栄養補給のために定期的に通うようになったのかもしれません。夜学バーに行ったほうが自分のためによい、と無意識に判断したのだと思います。

東京・湯島の「夜学バー」というお店で店番をしていた時期があるのだが、これは初登板前に書いた挨拶文的な文章の一部分。ホームページをこちらにコピペしたら、字がそのままピンク色になりました。かわいいページなので良かったらご覧くださいませ。http://ozjacky.o.oo7.jp/brat/precure.html

東京に住んでいた頃は夜学バーにたくさん通ったし、新潟に引っ越してきてからも上京の際には必ず立ち寄るようにしている。それほど大好きなお店なのだ。

夜学バーをはじめ、大好きなお店は他にもたくさんある。どれも愛すべき、私にとって必要なお店たち。私も今年、自分の店を始める予定だ。誰かの「栄養補給」になれるようなお店を自分でできたらこんな幸せなことはないだろう。

恋愛的勘違い/女神になりたい

高橋源一郎さんのラジオ「高橋源一郎飛ぶ教室」の最新回が面白かった。このラジオは毎回1冊の本を紹介するコーナーがある。今回は清田隆之さんの『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』という本。簡単に言うと「恋愛における男あるある」が書かれているそうだ。ラジオ内で紹介されていたうちの1つで、ものすごく共感するものがあった。それが「何かと恋愛的文脈で受け取る男たち」。女性であれば、このタイトルだけで「うんうん」と頷いてしまうのではないだろうか。本では、なぜ男たちが恋愛的勘違いをしてしまうのか?を著者が分析している。著者によると理由は2つあり、まず1つは「性別意識にとらわれている」ということ。もう1つは「恋愛的な自己評価が低い」ということ。特に2つ目の部分が、個人的になるほどなあと思ったので引用します。↓

この社会には恋愛的なアクションは男性からするべきものであり、それを女性に受け入れてもらって初めて恋愛が前に進むという考え方がまだまだ根強く存在している。ということは男=お願いする側、女=お願いされる側。我々男性はなんとなく下のポジションに置かれているような感覚。と、どうなるか?女性に嫌がられることや、拒否されることがデフォルトという感覚を持っている。ところが、女性が何気なく男性を褒めると(付き合いのため)、「普通なら褒められるはずはないのにわざわざ褒めてくるということは、俺のことをいいと思っているからではないか」と思ってしまう。

自分に対してニコニコ愛想良く接してくれる、食事の誘いに乗ってくれる、つまりそれって俺のことを好きってコト!?となるわけですね。私もこれはつい最近実体験した。意図せず相手を勘違いさせてしまって、それが結果的に嫌な事態に発展してしまった。その件があって私は結構精神的に参ってしまったのだ。しかし、こういうことって初めてじゃない。なんなら今までに何度もあった。だから男性との付き合い方に悩んだりもした。一時期は、男性からの恋愛的勘違いを防ぐために、男性に対してだけ少しクールに、というかあえて素っ気なく接していた。でもそうすることって本意じゃないし、やっぱり人と仲良くしたいなあって思ってすぐやめた。

もう1つの理由に挙げられた「性別意識にとらわれている」人も結構多いんじゃないかなあと思う。私はあなたと仲良くしたいと思っているのに、あなたはまず第一に私のことを「女!」ととらえる。それってなんだか虚しい。性別とか年齢とか職業とかそういう属性を抜きにして、あなたと仲良くなりたいのにな。理想。理想を求めすぎて失望してしまうこともあるんだけど、それでも捨てきれない。まだまだ人を信じたいと思ってしまう。

まあそれはそうとして(雑)、私はいずれはやっぱり女神になりたいなあと思う。2〜3年前くらいにたぶん何かのきっかけで、「あ、私、女神になりたい」って思い始めたんだけど、そのきっかけがどうも思い出せない。これを読んでる大多数の方は「女神になりたい?なんじゃそりゃ」とお思いになるでしょうが、まだちょっと上手く言葉で表現できそうにない。でもきっといずれ私は女神になるだろうし、また日記に書いたりするでしょう。

変わりゆく

出勤前、お家で紅茶を飲みながら日記を書く。普段お家でお茶を淹れることなんて滅多にないし、基本お家では水しか飲まない。けど、急にお茶を淹れたくなったのは、最近岡田淳さんの『ふしぎな木の実の料理法』を読んだから。お茶を淹れるシーンがやたらと多い。この本の世界ではお茶を淹れることは当たり前なのだ。私もやってみた。やってみると心は落ち着くし、心の余裕が生まれるような感覚。お茶を淹れて飲むことって素敵なことな気がする。誰かと一緒に飲んだらもっと素敵だし、世界は輝く。

この日記にしては珍しくだいぶ詩的なことを書いたなあと思う。自分の日記をたまに読み返すと、余裕の無さみたいなものが文章から感じられる。単純にここ1ヶ月忙しかったってのが大きいんだろうけど。もう少しゆったりとした文章を書きたいなあとは思う。

最近は自分のさまざまな変化に少し驚いてしまう。まず第一に、心身ともにめちゃくちゃ元気ってこと。正直、去年はずっと暗かったしあんまり元気じゃなかった。けど今年2月に落語を始めたあたりから、すごく元気になってきた。前より随分明るくなったし、人とのコミュニケーションも増えた。最近はバイト先のお客さんに自分から話しかけちゃったり。落語パワーを感じてます。

あとは、自分の気持ちや考え方も変化したなあと思う。昔の自分だったら絶対やらないようなことを今はやってみたいと思ったり。今年は大きな動きのある一年になりそうです。って、よくよく考えると去年も一昨年もいろいろなことやってたから常に目まぐるしかったんだけど。平凡な日常に耐えられない性分なのだろう。

考え方が変わったのは、生きてきたから。いろいろな選択をして、あらゆる人や物に影響を受けて、そして今の自分がある。これからも生きている限り変化してゆく。何かに固執せず、しなやかにのびのびと生きたい。