例えば私が今死んでしまったなら

昨日はうっかり死んでしまうかもしれなかった。

というのも、生まれて初めて「死のうかな」と思ったのだ。死ぬ方法とか、死んだ後どうなるのかなとか、具体的なことまで考えたのは昨日が初めて。

今までは「まだ死にたくない」が強かった。「このままじゃ死にきれない」とも言える。が、ここ数ヶ月は「いつ死んでもいいかもしれない」と考えるようになってきた。

なんで「いつ死んでもいいかもしれない」になったのか。一言で言うなら「自分のことが嫌で仕方ない」。ここから派生して「自分は世の中の役に立っているとも思えないし、自分でやりたいことも特にないし、生きる意味がわからない」まで続く。最近はとにかく自己嫌悪がひどい。元々自己肯定感が低い根暗人間であるが、最近は特に自分にとっての失敗を引きずり、そして積み重ね、負の感情を大きくしていっている。

「いつ死んでもいいかもしれない」が昨日突然「死のうかな」に変わった。そうなったきっかけは、ある。昨日の13時頃、美容系YouTuberの五彩緋夏さんの訃報を見てから明らかに心がざわざわし始めた。2年ほど前までひなちゃんの動画はよく見ていた。ひなちゃんの動画を見てメイクを練習した。

ひなちゃんは自らを醜形恐怖症だと言い、過去に何度か整形手術をしている。そしてメイクを研究して、「かわいい」を追求した。自分のコンプレックスを努力で克服しようとしていた。ひなちゃんに共感する女の子は多かったと思う。ここ1、2年は自らのコスメブランドを立ち上げたり(コスメとは別でカラコンもプロデュースしてた)、メイク本を出版したりしていた中での訃報。自分のことが嫌で嫌でしょうがなくても、頑張って克服しようとしたり、なんとか自分を認めてあげよう、ともがきながら生きている。それが私のひなちゃんに対する印象だった。かわいくてかっこいい、憧れの女性。しかし今回の訃報を見て「あぁ、ひなちゃんでもダメだったのか」と思った。ひなちゃんは己のコンプレックスとずっとずっと戦い続けて、”コンプレックスを克服した、乗り越えた”ように私は見えた。(これはあくまでも私の主観だし、最近の動画も見ていないので、最近のひなちゃんがどんなことを話していたのかは知らない。)だけど、ひなちゃんほど努力をしている人でもダメなのか、と思ってしまった。そして、人はいつ死んでしまうか分からない、ということ。亡くなる前日にはYouTubeに動画を上げていたそうだし、SNSも更新していたそうだ。あまりに突然のことのように思う。だから私だって、今日をとても楽しく幸せに過ごしたとしても、明日の朝突然死にたくてしょうがない状態になるかもしれない。自分も、他人も、いつ死んでしまうか分からない。

この死にたいという感情はどうしたらいいんだろう。今は高崎から新潟に帰る電車の中。生まれて初めて死にたいと思ったこの事実を、とにかく記録しておきたくて走り書きしているだけ。だから文章はまとまりもなく拙いと思います。おわり。