わたしが住む世界は スピードが速すぎる

3月かあ。2月はとてつもないスピードで時が流れたような気がする。仕事が普段より忙しかったってのもあるんだけど、なにより落語を始めたことが大きい。毎日ヘトヘトナイチンゲール…(←最近、◯◯ナイチンゲールって言うのにハマってる)だったが、非常に充実していた。あ、この日記を定期的に更新するようになったことも忙しさの一つ。私の日記を読んでる人達が、この文量を多いと思うか少ないと思うかは分からないんだけど、だいたい1つの記事につき1〜2時間くらいかけて執筆している。眠い時とかはやや雑に書き走らせたりすることもあるが、基本的には慎重に言葉を選び、一歩一歩踏みしめるような感覚で書いている。なのでまあまあ時間がかかる。

言葉は便利であるが、言葉を使うのは怖いなという感覚がなんとなくある。ある友達は「言葉は言葉として発した瞬間、それは私の言葉ではなくなる」というようなことを言っていた。言葉を発すれば、誰かがそれを受け取る。それをどのように受け取るかは人それぞれ、相手次第なのだ。自分の発する言葉(思考)が、100%正しく相手に伝わることなど無いと思う。けど、可能な限り「ずれ」が大きくならないようにしたいし、誰かを傷つけないようにしたいとも思っている。尊敬する先生は「人を傷つけない言論などない」と仰っていた(らしい、私が直接聞いたわけではない)。だから言葉を使うことには慎重にならざるをえない。私と直接話したことのある人ならきっと分かると思うんだけど、私は喋るのがけっこうゆっくりなほうだ。どちらかといえば口数も少ないほうだと思う。「もっと速く喋って!」とか「もっとたくさん喋って!」とかもし言われたら(誰も言わんだろ)、けっこう難しいなあと思う。特に人と会話する時は、まず頭の中でどんなことを話すか考える。次にこういう場合はこの言葉を使うのが妥当かなと考える。自分の中でGOサインを出せたらやっと言葉を発する。段階を踏んで言葉を発するので、そりゃ時間がかかる。複数人と会話してる時なんかはだいたい、みんなの会話のスピードについていけなくて尚更喋れなくなる。複数人とのおしゃべりはどうしても苦手意識を持ってしまう。

喋ることに比べると、書くことは幾分気が楽である。できる限り推敲を重ねてから文字にするので、自分の中での安心感が違う。人との会話中だとそんな悠長に時間をかけてはいられない。書くだけなら誰も急かさない。

昨日2/29は毎日元日に行ったのだが、初めてお会いするお客さんが3人いて、結構長い時間みんなでいろいろお話した。初対面の人を含む複数人との会話、緊張した。脳みそをたくさん使ったのでちょいと疲れた。でも面白い話をたくさん聞けた。例えば、和歌山出身の大学4年生の女の子は「こっち(新潟)の人は喋るのがゆっくりでびっくりした」と。東と西では喋るスピードが全然違うらしい。私も確かに、その女の子は喋るスピードが速いな〜と感じた。「新潟に4年住んだおかげで、これでも遅くなったんです」と本人は言っていたが。私は新潟に住んでいる期間が一番長く(通算16年くらい?)、あとは岩手に1年、東京に4年、千葉に3年。千葉に関しては出生〜3歳までなので記憶ないけど。つまり東日本にしか住んだ経験が無い。西の方は旅行もなかなか行かないため、東と西の違いというのをあまり知らないのだ。それにしても地域によって喋るスピードが違うのは、一体どういうわけなのだろうか。こういうの考えるの楽しい。こういう分野の勉強したいな。

そういえば、昨日毎日元日(ややこしい)に居合わせたうちの1人が女医師匠に弟子入りすることになった。藪医舎一門7人目。最近入門者がパタパタと増えていてすごい。名は藪医舎魚之眼。それにしても女医師匠のネーミングセンスはさすがである。魚之眼は今大学4年生でこの春卒業、4月からは北海道に行く。遠距離弟子。またまた面白いことになってきた。